暗号クイズ
日本の作品
作品名 バチカンに眠る織田信長の夢  暗殺の黒幕はあの男・・・残され暗号を解読せよ
制作・放映:TBSTV
放映日時:平成19年1月29日
      2100〜2254

司会:爆笑問題
ナビゲーター:加藤雅也
ナレーター:遠藤憲一
織田信長:加藤雅也  岡部又右エ門:串田和美
明智光秀:白井晃   
ストーリーの概要
 信長暗殺の黒幕は誰なのか、研究者や作家の推理を交えて検証する歴史ミステリー。狩野永徳が描いたと言う「安土城の屏風絵」を求めてバチカン市国を取材。番組が黒幕の容疑者として挙げるのは、朝廷や宣教師など。
 信長に関する文献の研究家・立花京子氏は「本能寺の変」の1年前、京で行われた馬揃えに着目。馬揃えは朝廷の要請に従ったものだが、信長が朝廷を威嚇する意味があったと述べる。
 また、信長が宣教師を敵に回していた可能性も指摘。信長は西洋の侵略を容易に許さない軍事力を持っていただけでなく、安土城の天守閣を住まいとし、民衆にとって「神」になろうとしたという。
 この他、本能寺の変で信長の死体が発見されなかった理由や、光秀に謀反をそそのかした人物の存在についても推理する。
暗号の概要
信長コードとか、残された暗号を解読せよという謳い文句であったが、あまり暗号、コードらしきものは見当たらなかった。歴史の謎を暗号、謎解きを暗号解読と称している程度。ダ・ヴィンチ・コードに比べ(比較すのはおかしいかもしれないが)、スケールの差を感じる作品。
 バチカンのローマ法王に送ったと言う安土城の屏風絵は、行方不明であり、推測の域を出ない。その面からも消化不足の感。
参考:ニュースから
信長が献上、安土城の屏風絵探せ   「朝日新聞 2005.09.17」

 織田信長がローマ法王に献上した後、行方がわからなくなった幻の屏風絵「安土城之図」を探すため、安土町から11月、津村孝司町長ら4人がバチカンに渡ることになった。ローマ法王ベネディクトゥス16世に謁見し、屏風絵を受け取った可能性が高い当時の法王の一族の末裔にも会って手掛かりを探す。同町は「もし見つかれば、城の構造をめぐる論争に終止符が打てる」と期待している。
 訪問団は11月18〜29日、各国からバチカンに献納された美術品などが数多く保存されているバチカン博物館・伝道民族博物館やバチカン図書館などを訪れて調査。地元テレビ局の番組にも出演して屏風絵の情報を集めるという。
 町は今年4月、訪ねてきた在日ローマ法王庁大使館のレオン・カレンガ参事官に対し、屏風絵探しへの協力を依頼。同町で国際交流員を務めるカヴァリエレ・パオラさんも、現地の学術関係者や、当時のローマ法王の甥の末裔のボンコンパーニ家に手紙を送った。その結果、津村町長が7月に大使館を訪れた際、ローマ法王との謁見が11月にできるとの回答を得たという。
 訪問団の結成は昭和59年(1984)、当時の町長らと県との合同調査団以来で21年ぶりとなる。

屏風絵:「安土城之図」;1592年までバチカンに残存     「毎日新聞 2007.2.10」

 織田信長がローマ法王に献上した幻の屏風(びょうぶ)絵「安土城之図」の行方を捜している滋賀県安土町の調査団が9日、1カ月の現地調査を終え、ローマで記者会見した。
 団長の若桑みどり・千葉大名誉教授によると、絵は1592年7月まで法王庁(バチカン)の「地図の画廊」にあったことが確認された。その後の行方は突き止められなかったという。
 今回の調査の結果、狩野永徳の描いた絵は1585年3月、当時の法王グレゴリウス13世に届けられ、同92年7月の時点で存在したことが骨とう収集家の書簡と素描などにより確認された。しかしその後、収蔵先の「地図の画廊」が大規模修復されたのに伴い、別の場所へ移されたことが濃厚となった。1736年のフランスのイエズス会士の記録に残る挿絵から、フランスに渡った可能性も浮上したという。
 焼け落ちた安土城を描いた第一級の資料として安土町が屏風絵の探索に乗り出して以来、本格的な学術的調査は今回が初めて。調査団は3人で、連日つぶさに古文書やバチカンの所蔵目録などを調べた。
 若桑名誉教授は「外堀は埋めることができたが、今回は時間切れ」と話し、今後の調査目標として、未調査のバチカンの倉庫や外交文書などを精査することを挙げた。
 一行は10日、帰国の途につき、安土町議会に結果を報告する。

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