暗号戦史
「イ行 作品」
作品名 1941年2月の極東危機とイギリス情報部   (「軍事史学第153号」所収)
著者名 小谷 賢
発行日:2003.4.1
出版社:錦正社
編集:軍事史学会
形式:機関紙
目次
「なし」
ストーリーの概要
・ はじめに
 イギリスの情報部関連史料の公開に伴い、1942年の2月に生じた極東危機が、どのような過程で引き起こされ、その後収束していったのかを、イギリス情報部の視点を通して考察していく。
 2月危機とは、1941年の2月初旬、英で東南アジア地域における対日戦争の可能性が大々的に報じられたことにより引き起こされた危機的状況であり、その結果この時期の日英関係は戦争の可能性を秘めた緊張を伴うものになった。
 一般にこの極東危機はイギリス情報部、政策決定者が意図的に創り出したもので、米を極東問題に引き付け、日本の南進を牽制しようとしたと言われている。
 GC&CSの果たした役割を軸に、1941年初頭の危機と英米の情報協力を考察し、次を明らかにする。
 ・ 英の情報活動の混乱が2月危機をエスカレートさせた
 ・ 英米の情報協力が危機の打開にどの程度貢献していたか
1 政府暗号学校(GC&CS)
  下記、「暗号について」
2 日本の南進とイギリスの極東政策
 ・ 1940.7、英は艦隊派遣不可能につき、日本との戦争を避ける方針決定。
 ・ 1940.11、英船「オートメドン号」がドイツ軍に拿捕・・・上記方針書が独へ・・・12月、日本へ手渡される。
 ・ 1940末、タイ・仏印間の国境紛争勃発・・・英は傍観、日は仏印に示威行動
 ・ 英は,GC&CSからの通信情報が取れず、他の情報で混乱。タイムズ紙上で、日本に対する牽制。
 ・ MI6による日本大使館の電話盗聴・・・「攻撃することを決めた」
   →通訳は日常会話しか解さないジャーナリストで、誤訳、曲解し誇張して報告・・・しかし、当時は極秘情報として処理
 ・ 英は過剰反応。・・・英空軍2個中隊をシンガポールに派遣。米へ極東に関心を持つよう交渉
 ・ 米は、「米領が直接攻撃を受けない限り日本との戦争は困難」・・・英領への攻撃では参戦できない。
 ・ タイムズはじめ各紙に反日プロバガンダ・・・日本の南進抑止に効果有り
3 英米の情報協力と危機の回避
 ・ 状況好転の鍵・・・英米間の情報協力
 ・ 暗号解読により、危機回避
 ・ 下記「暗号について」
おわりに
 ・ 英は、2月危機により米を極東問題に引き込めた成果と認識
 ・ GC&CSの傍受解読能力は、英を極東問題から一歩退かせた。

*英は、2000年度からロンドンのPRO(Public Record Office)で、戦間期の英内務省情報局保安部(MI5)や政府暗号学校(GC&CS)など、情報部の記録公開が進んでいる。PROにはGC&CSが傍受した各国の暗号解読記録、通称BJ(Blue Jacket)が保存されている。
暗号について
1 政府暗号学校(GC&CS)
 ・ WW1後、英外務省が設立した電信傍受、暗号解読専門の組織。
  (1939年にロンドンからブレッチェリー・パークに移転、現在はGCHQとしてチェルトナムに本部有り)
 ・ 1929年のワシントン会議、電信傍受により日本側代表団の譲歩幅を知り、交渉
 ・ 1930年代、日本の外交暗号を傍受、解読。・・・日独伊三国防共協定交渉内容は、英を日中戦争に対する方針決定に影響
 ・ 1939.1、英米との摩擦緩和の意向承知・・・英の積極的な対日抑止策に影響
 ・ 1940年ごろからの日本の暗号機の更新・・・「レッド」から「パープル」は、一時情報入手不可となる。・・・2月危機に影響
   →確実な情報の入手困難・・・誤情報の氾濫・・・政策の混乱
3 英米の情報協力
 ・ GC&CS長官・デニストロン・・・「我々は、日本とロシアに対する外交暗号解読で協力する用意ができた。できれば軍事暗号面での協力も実現したい。」
 ・ 米海軍通信諜報課・サフォード少佐・・・「英米の軍代表はワシントンでお互いの暗号解読システムの交換に合意した。」
 ・ 1941.12.8前後、新型暗号機とその関係スタッフは、米から英戦艦「キング・ジョージ五世」でイギリスに到着
   →スタッフ:は、IS(米陸軍通信情報部)、OP-20-G(米海軍通信諜報課)から抜擢、2機の「パープル」暗号解読機、「レッド」暗号解読機、日本の外交暗号解読テキスト、日本海軍のJN-25暗号解読テキスト等
 ・ 2月15日から、それまで解読できていなかった各日本大使館と東京の交信が記録され始めた。・・・転換期
 ・ 2月17日、重光から松岡宛「英領に攻撃する意図のないことを明確にする必要がある」を傍受・解読
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