暗号戦史
「コ行 作品」
作品名 国際スパイゾルゲの真実
著者名 NHK取材班 下斗米信夫 
初出版:1992.8:角川書店

発行日:平成7年5月25日
出版社:角川書店
形式:角川文庫


1991:NHK:スクープドキュメント
目次
プロローグ
第1章 スパイ・ゾルゲの誕生
第2章 日本情報を送れ
第3章 日本の対ソ戦略を探れ
エピローグ
ストーリーの概要
太平洋戦争も終末を迎える頃、一人のスパイ・ゾルゲが処刑された。
信奉する世界共産革命のために身命を賭ける男のヒロイズム。ゾルゲに関する資料入手のため、1991年7月、NHK取材班はモスクワに入った。調度クーデター騒動が起きる1ヶ月ほど前だったと言う。クーデターが失敗し、出し渋っていた資料を提供してくれた。限定的とはいえ、その貴重な資料を基にゾルゲの真実を追っている。特にゾルゲの送った電文は貴重な裏づけ資料である。

明らかにされたゾルゲの謀報活動と正確無比な報告は、世界中を震憾させるものがある。二十世紀最大のスパイの一人と言っても過言ではない、歴史に名を刻むゾルゲの生涯を覆っていたものは、その複雑な生い立ちと、共産主義という理想、そしてソビエトの現実であった。常に国家の狭間で翻弄され、苦悩し続け、一生涯、愛しむべきものを手にすることを許されなかった孤独な一人の男ゾルゲ。その内面を通して描いた、もう一つの太平洋戦争の一面を知ることが出来る。

目次の細部
第1章 スパイ・ゾルゲの誕生
 ・ゾルゲの生い立ち ・コミュニスト・ゾルゲ誕生 ・上海から日本へ
第2章 日本情報を送れ
 ・日本入国 ・ゾルゲ諜報網組織さる ・戦争前夜
第3章 日本の対ソ戦略を探れ
 ・モスクワからの諜報指令 ・動き出したゾルゲ諜報網 ・盗まれていた午前会議の決定 ・日本、ソ連を攻撃せず ・ゾルゲグループ逮捕さる
解説
・ゾルゲが報告した人々:下斗米伸夫 ・ゾルゲと尾崎のはざま:松崎昭一 ・歴史の中のゾルゲ事件:尾崎秀樹
暗号について
諜報網を組織するときの暗号・合言葉等
 ・ヴーケリッチ:新聞に文化アパートについて広告し連絡。最初の挨拶「ジョンソンを知っていますか」の合言葉。
 ・宮城与徳:「ジャパン・アドバタイザー」紙の広告欄、「大家の浮世絵及び同上の英文本買いたし。至急入用。詳細、題名、作者、価格、ジャパン・アドバタイザー紙気付美術家宛知らされたし」
 ・各人の暗号名:ゾルゲ;「インソン」・「ラムゼイ」・「トヴィックス」、 尾崎;「インベスト」・「オットー」、 宮城:「ジョウ」、 クラウゼン;「フリッツ」
 ・その他の暗号名:ソ連あるいは本部;「ホーム」、 ドイツ;「ホワイト」


無線通信士・クラウゼンの暗号処理
 ・ゾルゲの書いた英文の原稿を、ある決められた数字に置き換え、それを、1935年版の「ドイツ統計年鑑」を乱数表がわりに使って無意味な数字の羅列に変換して送信した。クラウゼンは、この根気のいる作業を一人で担当した。
 ・来日後、部品を買い集め、高性能の無線送受信機を作り上げた。真空管やコイルを取り外すことができ、スーツケースに入れて持ち運ぶことが可能だった。特定の場所で無線連絡を続けていると警察に探知される危険があったので、協力者の家(送受信に都合の良い木造二階建て)に行き、7メートルほどのアンテナを張り、決められた時間に送信した。

ゾルゲの暗号電文
 ・取材班が、ソ連情報部から入手したゾルゲの資料約90点の大部分は、暗号電文だった。電文では伝えられない詳細な報告はマイクロフィルムに写し、伝書使により運ばれた。
 ・暗号電報は英語が使われ、マイクロフィルムで送った報告はドイツ語だった。短く要約した電文は英語で書けても、きちんとした分析を的確に行うには母国語のドイツ語が便利だったと思われる。
 ・電報はウラジオストックあるいは上海のソ連無線通信基地で受信され、モスクワに送られ、翻訳された。翻訳された電報は、薄いパラフィン紙のような青色や黄色の半透明の紙が使われていた。右肩に「極秘」、電報番号、受信日付、翻訳した日付等が印刷され、文面はタイプライターで打たれ、必要事項は手書きで書いてあった。
 ・発信地には「島」と書かれていた。これは日本を示す略号であろう。1940.12.28からは「東京」と具体的な発信地名に変わった。
 ・電文の最後の名前は「ラムゼイ],1941.7.10からは「インソン」になっている。ゾルゲの略号である。ソ連とドイツの戦争開始直後に変更されている。
 ・1961.6.26にモスクワからゾルゲに宛てた諜報指令は、ソウルの朝鮮総督府で傍受されていた。傍受直後には解読できず、ゾルゲ逮捕後自供した解読法により解読できた。その他にも多数の暗号電報を傍受したが解読できなかったと言う。
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