作品名 |
参謀本部通信課について (今次大戦の思い出) |
著者名 |
仲野 好雄 |
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発行日:時期不明
出版社:論文(出版物ではない)
形式:原稿用紙 |
目次
1 突然の通信課長拝命
2 参謀本部通信課のあらまし
3 私の軍歴のあらまし
4 参謀本部通信課長としての思い出
第1 通信
第2 暗号
第3 電波兵器
第4 航空通信保安
第5 気象
おわりに |
ストーリーの概要 |
英国大使館付武官補佐官、航空通信保安長官部高級参謀等を歴任し、昭和18年8月通信課長に就任、終戦まで勤務した仲野好雄氏の記録である。
目次の細部
4 参謀本部通信課長としての思い出
第1 通信
(1) ニューギニア方面第1線部隊との通信
(2) ドイツとの直接通信の措置
(3) インパール作戦軍との通信途絶問題
(4) サイパン島陥落後の空襲情報通信整備
(5) 大東亜全域に亘る防空通信網の整備
(6) 松代大本営移転予定地の通信整備問題 |
暗号について |
4 参謀本部通信課長としての思い出
第2 暗号
陸軍暗号は、歴代先輩のご努力により世界無比と云われてきた。ところが昭和18年3月頃から各戦線での戦況不利のため暗号書が敵手に渡り、とくに撃沈された暗号書運搬用艦船からの潜水捜査入手を恐れ、通信課長就任直後の18年10月から、無限乱数及び一部の暗号形式を除いて全面的に特別計算方式を断行すると共に上司に具申し次の措置をとる。
1 陸軍暗号学理研究会(数学研究会)の発足)
昭和17年10月頃から民間の数学の大家を集め暗号学理研究会を発足させようと努力をされて来られたのであるが、軍の最高機密である暗号の内容を民間人に知らしてよいものかの一言の下で上司の許可が得られないまま私に引き継がれたのである。私は「民間人には、手や足の先や胴体を知らせるだけで、首から上のことは知らせません。万一の時は私が腹を切ります」との言葉を信用して頂き、その研究の成果に基き戦争中に、大東亜全域に跨る第一線大隊迄無限乱数の使用開始と、無限乱数の輸送補充が不可能になった場合の非常処置法を案出し実行に移したのである。
終戦後私は21回に亘り米軍の日本陸軍暗号解読責任者たちの取調べを受けたのあるが、最后に許可を得ての私の質問『日本陸軍暗号が解けました』に対し、『コンプリートリー パーフェクト』の答えが帰って来、腹を切らずに終わったのである。
2 陸・海・外・大東亜各省通信課長会議
陸・海・外・大東亜四省通信課長会議は毎月1回会食を行い情報交換を行うと共に、実務者による協同研究会を開始し、やや遅すぎた感はあったものの可也りの成果は収めた。残念なlことは19年4月18日山本聯合艦隊司令長官機のブーゲンビルにおける撃墜事件である。暗号解読と見て無限乱数式に全面改正を提言したのであるが、容れられなかったこと、及び大戦末期ソ連への和平斡旋依頼に伴う外務省暗号の『無限乱数式』への改正を強要し、金子参謀をクーリエとして携行させるシベリア鉄道途中で謀殺奪取されたことである。上司の指示により外交上不問に付せられたのである。
(この項、全文掲載) |