暗号戦史
「セ行 作品」
作品名 戦前期における日本の外交暗号解読の事実と政策決定への影響
著者名 蓑原 俊洋   (神戸大学大学院法学部研究科助教授)





通巻151号
第38巻第3号



発行日:2002.12.1
出版社:錦正社
編集:軍事史学会
形式:機関紙

目次
「なし」

軍事史学会関西支部第54回例会・演題(報告資料・要約)
(平成14年7月27日:大阪学院大学)

ストーリーの概要
 政治外交の新進気鋭の研究者が、開戦期の情報戦と日本外交の実相にするどいメスを入れた。

 日米開戦当時、日本では「情報戦でアメリカに完敗していた」とするのが定説になっている。だが「外交暗号の解読に関して言えば、日本は決してひけをとっていなかった」ことが明らかになった。

 しかし、残念なことに、この暗号解読作業によってもたらされた情報が最終局面でかえってマイナスに作用した。
通説を覆す史料は、2001年7月、アメリカ・メリーランド州の国立公文書館で見つかった。CIAが1967年11月28日にテイラー次長に提出した報告書で、長い間極秘にされ、NSAの承認を得て1996年に漸く機密解除されたもの。
 添付資料と合わせて約70ページのこの報告書が作成されたきっかけは、1967年にファラゴが出版した本の中で「日本は開戦前、実はアメリカの外交暗号を解読していた。」と記述したことによる。
 その信憑性を確認するためにCIAは直ちに調査を開始、その結果、日本外務省が暗号解読していた事実、その技術を持っていたと言う結論を提示してた。
 東京の外交史料館が所有する「特殊情報綴」にも、約30通の解読した暗号電報が収められている。

 太平洋戦争開戦前の日米交渉当時、アメリカの「暫定協定案」を傍受・解読し、東郷外相は交渉の先行きに一筋の希望を抱いたと想像できる。
 しかし、アメリカから正式に提示された「ハル・ノート」には「暫定協定案」の陰も形もなかった。「暫定協定案」を知った東郷は、戦争回避のために一身を奉げてきたのに裏切られたのである。これを期に、東郷は開戦を決意する。
 一方、アメリカは、日本の「乙案」の解読時、「最終的」を「最後通牒」と訳してしまったという。これをもとにハルは。「暫定協定案」は提示せず、「ハル・ノート」を提示した。

 日米両国は、情報により互いに相手のことを誤解した。暗号解読が戦争回避の可能性をかえって狭めた。肝心なのは、情報を正しく理解して政策決定に的確に生かすかなのです。
暗号について
外交暗号解読が政策決定に与えた影響
・ 暗号解読の技術は、第1次世界大戦後飛躍的に進歩。
・ 日本:1921年、陸海外逓の研究員からなる「4省連合研究会」を設置、英米の外交暗号の解読作業開始。
・ 1923年、陸軍参謀本部は、ポーランドのコワレスキー大尉を招聘、暗号、暗号解読の講習開始。
・ 同年、ソ連の外交暗号、1928年、張学良の外交暗号を解読。
・ 1931年:ソ連国境警備隊、1932年:ソ連沿海州方面海軍、1935年:赤軍主要暗号の解読に成功。
・ 暗号解読組織:陸軍参謀本部第18班、海軍軍令部特務班、外務省電信課別班の三つ。陸軍が最も優れていた。
・ 解読の対象:米英、カナダ、フランス、中国、ソ連
・ 1941年5月ごろの技術能力:米英の暗号は三日程度、中国の暗号は2、3時間で解読可能
・ ヤードレーが、1930年代に膨大なアメリカ外交暗号関係資料を7千ドルで日本に売却。
・ ヤードレーは、その後の日本において暗号解読に携った?・・・
  豊田外相の野村大使宛の電報の下書き:「ヤードレーにより解読せる電報に・・・・」
・ 上記「概要」に記したような外交暗号の情報の取扱について。
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