作品名 |
昭和史 1926→1945 |
著者名 |
半藤 一利 |
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発行日:2004.2.10
出版社:平凡社
形式:四六判 |
目次
はじめの章 昭和史の根底には”赤い夕陽の満州”があった
第一章 昭和は”陰課”と”魔法の杖”で開幕した
第二章 昭和がダメになったスタートの満州事変
第三章 満州国は日本を”栄光ある孤立”に導いた
第四章 軍国E主義への道はかく整備されていく
第五章 二・二六事件の眼目は「宮城占拠計画」にあった
第六章 日中戦争・旗行列提灯行列の波は続いたが……
第七章 政府も軍部も強気一点張り、そしてノモンハン
第八章 第二次大戦の勃発があらゆる問題を吹き飛ばした
第九章 なぜ海軍は三国同盟をイエスと言ったか
第十章 独ソの政略に振り回されるなか、南進論の大合唱
第十一章 四つの御前会議、かくて戦争は決断された
第十二章 栄光から悲惨へ、その逆転はあまりにも早かった
第十三章 大日本帝国にもはや勝機がなくなって……
第十四章 日本降伏を前に、駈け引きに狂奔する米国とソ連
*ヤルタ会談、東京大空襲、沖縄本島決戦、そしてドイツ降伏
第十五章「堪ヘ難キヲ堪へ、忍ビ難キヲ忍ビ……」
むすびの章 三百十万の死者が語りかけてくれるものは?
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ストーリーの概要 |
はじめの章 昭和史の根底には”赤い夕陽の満州”があった
*日露戦争に勝った意味
国家興亡の40年/国防最前線としての満州/芥川龍之介「支那遊記」から/情勢悪化の昭和の開幕
第一章 昭和は”陰課”と”魔法の杖”で開幕した
*張作霖爆殺と統帥権干犯
張作霖爆殺の犯人は?天皇陛下大いに怒る/豹変した元老西園寺さん/統帥権干犯とは何ぞや/軍師は北一輝という話
第二章 昭和がダメになったスタートの満州事変
*関東軍の野望、満州国の建国
「君側の奸」といわれた人たち/天才戦略家、石原莞爾の登場/天皇への西園寺の牽制/割り箸は右へ転んだが……/新聞がいっせいに太鼓を叩く
第三章 満州国は日本を”栄光ある孤立”に導いた
*五・一五事件から国際連盟脱退まで
戦争を煽った新聞社/「旭日を浴びて皇軍人城」/きびしくなった世界世論/上海事変をとにかく停戦へ/「話せばわかる」「問答無用」/リットン調査団が見たもの/「四十二対一」の決議
第四章 軍国E主義への道はかく整備されていく
*陸軍の派閥争い、天皇機関説
お祭騒ぎの大防空演習/陸軍に対する最後の抵抗/軍政のエースと作戦の鬼/「中国一撃論」まかり通る/「天皇機関説」の目的は?/万世一系の天皇の統治
第五章 二・二六事件の眼目は「宮城占拠計画」にあった
*大股で戦争体制へ
「たたかひは創造の父、文化の母」/立派であった夫人たち/「玉を押さえる」ことの意味/三銭切手が”仲間”の符号/「わが事成れり」/「今からでも遅くない」/広田内閣が残したもの
第六章 日中戦争・旗行列提灯行列の波は続いたが……
*盧溝橋事件、南京事件
重大視されなかった西安事件/七月七日午後十時すぎ/連隊長の独断専行の命令/第三者の陰謀があった/「南京虐殺」はあったが……/泥沼化していった戦争/致命的な「蒋介石を相手にせず」
第七章 政府も軍部も強気一点張り、そしてノモンハン
*軍縮脱退、国家総動員法
海軍中堅クラスの強硬論/超大戦艦を建造すべし/「国家総動員上必要あるとき」/「スターリンのごとく」大胆に/ノモンハンの悲劇/戦争は意志の強い方が勝つ
第八章 第二次大戦の勃発があらゆる問題を吹き飛ばした
*米英との対立、ドイツヘの接近
海軍の良識トリオの孤軍奮闘/遺書をしたためた山本五十六/強硬となりはじめたアメリカ/パーマネントはやめましょう/スターリンの悪魔的決断/「いまより一兵士として戦う」
第九章 なぜ海軍は三国同盟をイエスと言ったか
*ひた走る軍事国家への道
「ぜいたくは素敵だ」/「バスに乗り遅れるな」の大合唱/最後の防波堤が崩れた時/金のために魂を売った?/血と苦労と涙と、そして汗
第十章 独ソの政略に振り回されるなか、南進論の大合唱
*ドイツのソ連進攻
恥ずべき北部仏印への武力進駐/戦争へ走り出した海軍中央/紀元は二六〇〇年……/松岡外相のヨーロッバ旅行/ヒトラーの悪魔的な誘い/ご機嫌そのもののスターリン/英雄は頭を転向する
第十一章 四つの御前会議、かくて戦争は決断された
*太平洋戦争開戦前夜
外務省内の対米英強硬派/雲散霧消した日米諒解案/「対米英決戦を辞せず」/やる気満々であった「関特演」/戦争を辞せざる決意をする 桶狭間とひよどり越えと川中島/「戦機はあとには来ない!」/対米開戦を決意する/ニイタカヤマノボレ 一二○八
第十二章 栄光から悲惨へ、その逆転はあまりにも早かった
*つかの間の「連勝」
開戦通告は必ずやられたし/「だまし討ち」の永遠の汚名/ひたすら大勝利に酔った日本国民/ミッドウェーの落日
第十三章 大日本帝国にもはや勝機がなくなって……
*ガダルカナル、インパール、サイパンの悲劇から特攻隊出撃ヘ
ガダルカナル奪取さる/山本長官戦死の発表/豪雨のなかのインパール街道/サイパン奪還は不可能/特別攻撃は海軍の総意?
第十四章 日本降伏を前に、駈け引きに狂奔する米国とソ連
*ヤルタ会談、東京大空襲、沖縄本島決戦、そしてドイツ降伏
元暁の焼夷弾こそあぶなけれ/日本の家屋は木と紙だ/散る桜残る桜も散る桜/昭和天皇が倒れた日/引き延ばされた返事/原子爆弾とポツダム宣言の「黙殺」
第十五章「堪ヘ難キヲ堪へ、忍ビ難キヲ忍ビ……」
*ポツダム宣言受諾、終戦
ヒロシマの死者の列/「もはや戦争継続は不可能」/第一回の「聖断/「隷属」と「制限下」/二度目の「聖断」によって/降伏することのむずかしさ
むすびの章 三百十万の死者が語りかけてくれるものは?
*昭和史二十年の教訓 |
暗号について |
第二章 昭和がダメになったスタートの満州事変
本庄繁のあだ名は「沢庵石」、三宅光治参謀長は「ロシア飴」、板垣さんは「午前さま」
第五章 二・二六事件の眼目は「宮城占拠計画」にあった
そして占拠の後は、仲間と思われる人間にはあらかじめ三銭切手を手に貼ってくるように伝えておいたというのです。三銭切手が同志の合印(あいじるし)です。そうすれば宮城の中に入れるというところまで話は進んでいたのです。
第九章 なぜ海軍は三国同盟をイエスと言ったか
「敵性言葉」を使うな:プラットフォームは「乗車廊」、ビラは「伝単」、ラグビーは「闘技」、パーマネントは「電髪」、ペニシリンは「碧素」、アメリカンフットボールは「鎧球」、スキーは「雪艇」、野球のスタルヒン投手は須田博(すだひろし)と変えられました。ストライクは「よし」、ボールは「だめ」、というのは有名な話ですが
第十章 独ソの政略に振り回されるなか、南進論の大合唱
そのお陰でというと奇妙な言い方になりますが、後にソ連を対日参戦に誘うための”獲物”として千島列島があることを、ルーズベルトがその意識下にしっかりおさめたのです。それは一九四五年(昭和二十)二月のヤルタ会談での折衝なんですが、その時のルーズベルトとスターリンとの間で交わされた秘密の会話の前提が、この時の暗号解読にあったというわけです。
第十一章 四つの御前会議、かくて戦争は決断された
この頃、アメリカは前にも述べたとおり、日本の外交暗号の解読に成功していました。「パープル(紫)」と呼んだ外交暗号をアメリカが解読しはじめたのは、現在では、前年の昭和十五年十月頃といわれています。なんと、日本の外務省が使う九七式欧文印字機とそっくり同じような暗号変換機を八台もつくって解読に励んでいたのに、日本政府はそれに全然、気付いていませんでした。今さら悔しがっても「喧嘩過ぎての棒ちぎれ」ですが。とにかく日本がドイツやイタリア、ワシントンの大使館に打電した秘密電報はすべて傍受解読されていたことになります。したがって七月二日の御前会議での決定も、外務省がワシントンに知らせた途端に「なに?日本は対英米戦を辞せずと?」という具合でした。
「ニイタカヤマノボレ 二一〇八」―開戦、Xデーは十二月八日と決定しました。
第十二章 栄光から悲惨へ、その逆転はあまりにも早かった
なんとなれば、日本からの通告文をアメリカはどんどん解読していて、ワシントン時間十二月七日朝には届いていた最終の通告の解読に目を通したルーズベルト大統領は、「これは戦争ということだね」と側近のホプキンスに言っているのです。つまり相手はとうの昔に受け取っていて、これが正式に開戦の通告であると認識していたのですから。
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