海外の暗号小説
第1話 究極の「量子暗号」実用化に伴う影響 H16.8.23
 7月21日の読売新聞に、解読不可能な「量子暗号」が実用化段階に入ったという記事が載った。
 古代からついこの間の1970年代頃までは、暗号は軍事・外交上の特殊なものであり「共通鍵」による暗号であったが、インターネットが普及し始めると不特定多数のユーザー間で使用できる「RSA暗号」のような素因数分解を利用する「公開鍵」方式の暗号が使われ、今のコンピューターでは事実上解読できないと言われている。
 しかし、この量子暗号は、絶対に解読できない「究極の暗号」と言われる。
 それは、現代社会において不可欠なものだが、私のように小説等を読み暗号を楽しむものにとっては、今後推理小説において暗号がどのように取り扱われるのか心配になってくる。「RSA暗号」でさえ、暗号小説にとってトリックとしては使い難いと思っていたのに、「量子暗号」になっては一段と困難になるであろう。
 作家の方々に期待するしかないが、読者が楽しめる、苦しめる暗号小説の登場を期待したい。阿由葉稜氏の「暗号」のように暗号を解く小説ではなく、インターネットで使用する暗号の開発に伴う戦いが主題になるのであろうか?
第2話 作家名と作品名 H16.8.28
作品名:「暗号」、          作家名:阿由葉 稜
作品名:「ビッグブラザーを撃て」、作家名:笹本 稜平

この2作品、どんな作品かと思いますか?
「暗号」は、正にこのホームページの主役である暗号に関する本でしょう。また、直感的には暗号理論の本のように思えます。
「ビッグブラザーを撃て」は、推理小説あるいはハードボイルド的な小説のように感じます。
とても同じ本には思えないでしょう。同じ本なんです。同じ小説を、作品名を変え、作家名を変えて出版することは如何なものでしょう?
同じ小説を文庫本等で再出版する時に、作品名を変えることは時々あります。それは、再販時、作家が内容を熟慮し、修正等を加えたりした時に生じることで許容できます。
また、新たな気持ちで、あるいはジャンルの違う分野に取り組む時等に作家名を変えて、作品を作ることもあります。一人で幾つものペンネームを持っている作家もいるようです。
しかし、同一の作品を、作品名と作家名を変えて、再出版することには、抵抗を感じます。
皆さんは如何でしょうか?
第3話 作家とトリック(暗号) H16.9.5
草野唯雄の作品に「観音崎灯台不連続殺人事件」と「警視泥棒」がある。
気になることが一つある。推理小説において、トリックは新鮮なもの、一度使ったものは使わない、他の作者のマネをしないことは鉄則かと思う。
この二つの作品において使われている暗号は、全く同じなのだ。これは如何なものか。推理小説ファンを馬鹿にしているのではないか。全くの興醒めである。
斉藤栄氏のように数十の作品において暗号を使っているが、当然同じものは使用していない。
作中の暗号は、トリックの一つかと思う。是非同じものを使用することは止めて貰いたい。
第4話 斉藤栄の暗号論@ : テレビと推理小説 H16.9.12
「今後、適宜、推理小説家の暗号に関するエッセイ等を紹介していきます。」
初めは、斉藤栄氏の【ミステリーを書いてみませんか】から:途中省略しています。

あえて言いますと、容易にテレビ化できるような推理小説は、あまりいい推理小説ではないと、私は、あえて本格ミステリーの立場から言いたい。その理由は推理小説は様式美であって、言葉のからくりを非常に使ってある。
私の小説の大部分は、例えば「殺人の棋譜」もそうですけど、暗号と言うものをよく使っております。私は、出来るだけ少しでもいいから暗号を小説の中へ入れてみたいと思っています。
暗号というのは、これはテレビ化はほとんど出来ないんですね。暗号をテレビ化することは非常に難しいんです。たとえば「奥の細道殺人事件」という私の作品があります。「奥の細道」は、実は芭蕉の書いた暗号である。芭蕉は、水戸光国に頼まれた忍者であった。小説として芭蕉忍者説を取り扱ったのは私が初めてなんです。ですから「奥の細道」の文章をいろいろ切り刻んで出てくるわけです。ですから、これはテレビ化できないと思っていました。
あるときファンから、その作品が全然違うタイトルでテレビに使われている。暗号の部分は全く使っていないという電話がかかってきました。・・・シナリオライターに適当に・・・現代物を時代物にされたら、全体に分からない、苦情を申し立てても仕様がないような形になって使われてしまう。
その場合でも、暗号の部分はなかなか使えない。その暗号が複雑で、かつよく出来ていれば出来ているほど使いにくい。ストーリーから暗号部分を取り除いて、そこに人物の名前を当てはめてそのままシナリオとして使ったのです。(以下略)
第5話 斉藤栄の暗号論A : 影響を受けた5人の作家 H16.9.19
斉藤栄氏の【ミステリーを書いてみませんか】から:途中省略しています。
どんな著名な作家でも、先輩作家の影響を受けているようだ。
斉藤栄氏が、最も影響を受けた作家として次の5人をあげている。
1 小酒井不木:医者、短編の名手
2 小栗虫太郎:黒死館殺人事件、本格ミステリー。
 小栗さんの特徴は、暗号と言うものを非常によく小説の中に使ったことです。つい最近、長田順行さんと言う暗号の研究家が、日本暗号協会を設立して、私は、そこの名誉会員と言うことになっていますけれども、暗号物が日本で絢爛と花開いたのは、この小栗さんの作品によるわけです。
ミステリーの大きな柱になっているのは、暗号ものだと思います。私は、ミステリーというのは言葉の遊びである。基本的に一つそういう特徴がある。その特徴の一つの表れとしては、暗号と言うものが柱になってくると考えています。・・・・
3 海野十三:受験番号等何でも全部13番だったから、運命の十三というペンネーム。SFの先駆者
4 大下宇陀児:書ける時に書く、社会派の先駆者
5 江戸川乱歩:全てを包摂。

第6話 長田順行の暗号論@ : 推理小説の暗号 H16.9.26
今回は、暗号界のバイブルでもある「暗号」を書いた長田順行氏の「暗号と推理小説」から。
長田氏は、海上自衛隊の暗号専門家だったと言う。

暗号を扱った推理小説には、〈なぞ〉形式のことば遊びによるものと、暗号によるものとがある。この二つのものが重なり合っている理由は、〈なぞ〉形式のことば遊びも暗号もともにことばに対する人為的操作にほかならないからである。
ことばは、決まった音(文字)がきまった順序に並び、それがきまった意味をもつわけであるから、〈なぞ〉や暗号を作るためには、この三つの要素のいずれかを変化させることになる。したがって、〈なぞ〉形式のことば遊びと暗号を原理的な面から区別することはむずかしい。
〈なぞ〉形式のことば遊びと暗号を区別するものの一つは、見掛け上の違いであろう。
〈なぞ〉はその本質が問いかけであるから、見掛け上は意味のある言葉でなければならないが、暗号の多くは記号の羅列である。例えば、文字の順序を入れ替えるという操作にしても、その結果が意味のあるものはことば遊びとしてのアナグラムであるし、無意味なものは転置式の暗号と呼ばれる。

次に、忘れてならないのは実用の暗号と推理小説の暗号の違いである。
実用の暗号は初めから解かれる事を前提に使われることは少ない。しかし、推理小説の暗号には、提出された謎は最後には全て解決しなければならないという推理小説の宿命がそのまま当てはめられる。したがって、扱われる暗号は必ず解けなければならない。
ここで、暗号を中心にすえた作品を暗号小説、〈なぞ〉形式のことば遊びを中心にすえた作品を暗号的小説と呼ぶことにし、その特徴と違いについて述べてみよう。
暗号小説では、なぞは記号の羅列として提示される。この場合、使用する暗号形式は専門分野から探してくるのが賢明であろう。暗号小説の場合にはなぞとしての見掛け上の面白さはないから、その妙味は暗号法式の推理とその論理的な解き方を明かし、すなわち謎解きに求められることになる。その良い例が、文字の頻度を利用する解読法の小説化ともいうべきポーの「黄金虫」であろう。
これに対して、暗号的小説の妙味は、「なんぞ」という問いかけ、すなわちなぞの設定の見事さにある。例えば、点字と六字の名号(南無阿弥陀仏)を結びつけた『二銭銅貨』の暗号のすばらしさを思い出していただきたい。このように暗号的小説では暗号の常識もさることながら、作者の機知いかんによってその妙味は左右される。
第7話 長田順行の暗号論A : 推理小説の暗号 H16.10.11
今回も長田氏の「推理小説と暗号」から
乱歩の「暗号記法の分類」を見直し、新・暗号記法の種類を作成する段階において長田氏が多くの作品を読み気のついたこととして記述している。
1 ほとんどの作品が暗号解読の成功を事件の解決に結び付けている。しかし、現実には暗号解読の成功が全く役に立たなかったり、暗号文が実は囮であることもありうる。こういった点からドイルの「踊る暗号」、フリ-マンの「モアブの暗号」、日影丈吉の「こわいはずだよ狐が通る」は、例外的な作品として目に付いた。
2 装飾としての暗号について。かつてバルザックは「結婚の生理学」の中に不可思議な暗号文を持ち込んで読者を驚かせた。この暗号文はでたらめな記号を並べたものである。小栗虫太郎の「源内焼六術和尚」の暗号文については、最近になって三種類の解読分が発表されている。
3 「秘文字」という変わった本について。泡坂妻夫、中井英夫、日影丈吉の書き下ろし暗号小説を、換字式、転地式で暗号化したものである。この本を企画し、全文の暗号化をおこなった田中敏郎には敬意を表する。
4 ダイイングメッセージについて。アシモスの「指し示す指」の中の給仕のヘンリーが述べる言葉として紹介している。「死に瀕した人が咄嗟に、思考の知的水準を誇る何人かがよってたかって取り組んでも歯が立たないほどの鍵を考え出すのは考えられない(骨子)」
5 暗号の設定とその解読が論理的とは思えないいくつかの作品について。小栗虫太郎の「オフェリア殺し」のモールス暗号。着想は面白いが、例文に誤りが多く、一義的に答えが求められるとは思えない。樹下太郎の「貨車引込線」、火野葦平の「詫び証文」、海野十三の「獏鸚」、岩田賛の「風車」、ノイエスの「ヒヤシンス伯父さん」も同様に疑問がある。(要約)
6 技法的に感心した作品について。アナグラムでは佐野洋の「あるエイプリルフール」、分置式では斉藤栄の「日本のハムレットの秘密」、泡坂妻夫の「掘出された童話」の二記号を表示するための工夫、そして幻想的ともいえる暗号を駆使する中井英夫の「人形たちの夜」「薔薇への遺言」、漢字の音訓表記や種類・同音を自在に駆使した大谷羊太郎の「殺意の演奏などがある。
*さすが、暗号の大家だけあり、適切に勝つ大胆に記述していると思う。
第8話 高山宏の暗号論@ : 『二銭銅貨』の経済学 デフレと推理小説 H16.10.19
高山宏氏の「殺す・集める・読む」から
「推理小説」を近代が生んだ発明品と捕らえ、文化史的視点から読み解いている本であるが、推理小説をこのように解釈するのかと思うと少し怖い感じ(楽しむだけではないと言う)がする。
「二銭銅貨」にしても、乱歩の代表作でかつ暗号小説の魁ぐらいにしか捉えていなかったのだが、経済学と結びつけて分析するとは・・・・以下〈Vの「二銭銅貨」の経済学から〉(骨子)

乱歩の処女作「二銭銅貨」は、ケインズの「貨幣経済論」と同じ1923年に出た。考えてみれば第1次大戦直後のデフレ不況をもって、皮肉なことに日本は欧米列強と文化的に並ぶことができたのかもしれない。(略)
二銭銅貨」は、「私」と松村武という、いい年の若いもんがすることもなく昼日中からごろごろしている状況なくしては成り立たない。(略) 何ということはない。山本権兵衛内閣のデフレ不況の深刻相なのである。主人公二人は失業青年なのだ。「大学は出たけれど」の典型図だ。「二銭銅貨」冒頭はそういう昭和初期の原型的デフレーションの世相を短いが簡潔なスケッチで描いている。(略) 推理小説を生むことになる「泥棒」と、その泥棒の多発を生むデフレ不況の世相を巧みに描くことで、推理小説なる斬新ジャンルの社会性、経済学的「下部構造」をちゃんと押さえていたことになる。名作といわれる所以を、僕などはそう感じる。(略)
近代の終わりに書かれながら、では近代がいつ始まったのかについてコメントしているものとしても「二銭銅貨」は改めてユニークなのだ。「南無阿弥陀仏」6文字を可能な限りいろいろに変換した形を蜿々連ねた妙な暗号を、「私」の策に引っかかって「暗号」だと確信している松村は、必死で解きにかかる。解けたと彼が確信しているのは、160種ばかりの暗号記法について彼がなまじ精通しているからである。早稲田経済学部在学中の乱歩が暗号氏を本格的に研究したということは周知のことであろう。
松村が威張って見せるのは、フランシスコ・ベイコンに始まり、チャールズ一世下の英国で大いに発展した英国暗号史を自分は良く知っているから、ということである。17世紀前半英国の暗号を含む新しい記号表記への関心は1660年代に一つの頂点を迎える。(略) 
1660年代前後、ピュリタンに残党狩りされる旧王党派の人間たちは、ともかく書きものから尻尾をつかまれぬようあらゆる暗号記法を工夫した。(略) 王立協会という世界初の学会は記号一般というだけでなく、実働する記号(表象)としての紙幣とその兌換の問題を徹底討議した最初の組織だ。(略) 暗号と金が表象作用としては完全に同じものだということを、その感覚の出発点に言及しながら表現した「二銭銅貨」という掌編は、近代精神というものをスケッチながら絶妙にすくいとった傑作とつくづく感心するほかないのである。
第9話 高山宏の暗号論A : 『二銭銅貨』を何がうんだか H16.10.24
今回も、高山宏氏の「殺す・集める・読む」から
V 暗号の近代 「二銭銅貨」を何がうんだかから(骨子)

「黄金仮面」「魔術師」「化人幻戯」といった堂々の大作から「モノグラム」「日記帳」など悲しい小説まで、乱歩の暗号趣味は生涯変わらなかったが、暗号生成の意味まで問うたという点では処女作 「二銭銅貨」にかなうものはない。大正12年4月号の「新青年」に載った。暗号がらみで推理小説そのものの構造を問う佳作だ。(略)
17世紀英国に生じていた問題とは、経済変動を背景にした「記号」への不信と、ではどうするかという記号の危機管理、情報の技術改良の問題であった。30年戦争や清教徒革命といった戦禍が、人や言葉に文脈を与えていた一切の契約を粉砕し、断片製の文化たるマニエリスムが復活して言葉を置換可能の文字の集積体としか考えず、これに戦乱下の情報交換の隠密化のの必要が重なって、例えばサミュエル・ピープスの暗号日記など暗号記法が大流行した。変装と。その言語的相関物たる暗号の大流行。17世紀記号論に推理小説からインターネットにいたる近代の「暗号的想像力」の原型がある。(略)
つ・く・えという音や文字は、上で字を書く板といった意味を重点しない限り、それ自体としては「何かの容器」にすぎない。暗号解読とはこの意味重点の恣意的な作業に他なるまい。(略)暗号解読の作業が露呈させるのは結局、言語そのものの恣意性、契約制の問題のはずだからである。
この言語の脆弱な契約制の構造は紙幣において一層顕著だ。それが1830年代アメリカの紙幣パニックを背景にしたポーの暗号小説の名作「黄金虫」の主題であったが、それがそっくり1世紀後、第1次大戦前後に揺らぐ金本位制、米騒動、世界大恐慌を背景に「二銭銅貨」に甦った。戦禍はここでも未曾有の軍用暗号の開発を促し、言語の断片化は「組み合わせ術」に狂奔する文字主義とクロスワード・パズルを大流行させた。
金に賭ける犯罪とそれを解くための言語遊戯。この二つを骨がらみのものとした乱歩の卓抜な新ジャンルは。「近代」を支える「表象」の虚妄を衝くのにまことに比類のないジャンルになった。
ここまで書くと、もうひとつ提案しておかぬではすまないことがある。暗号記法に狂う時代とは、そもそも世界を謎解き場所として悩みつつ楽しむといった感性で進む世界−−それをグスタフ・ホッケという人は「マニエリスム」と呼んだ−−の一つの典型なのである。いちいちの犯罪を解くことの中に、謎と化した世界そのものを解きたいという、何というか壮大な哲学的欲望が実は透けて見える。(略)その代表選手が推理小説ということになる。(略)
第10話 江戸川乱歩の暗号論@ : 暗号記法(補足訂正版) H16.11.20
日本の暗号小説の先駆者は、「江戸川乱歩」であることは万人の認めるところであろう。約80年前の大正時代末に、しかも彼が学生時代に「暗号記法」という暗号論を研究発表したことは信じられないほどだ。何故なら当時の日本においては、軍隊のごく一部を除き(それも英・独等に比べれば比較にならないほど遅れていたと思われる)暗号を研究している人は無く、参考資料は皆無に近かったであろうから。その後も長田順行氏が「暗号」を発表するまで誰もしなかったのだから。

「暗号ミステリ傑作選」の解説から
(編集部付記として、これは昭和29年「続・幻影城」の類別トリック修正の一部に組み込まれたものの全文をご遺族の了承を得て、表記を新しくして載せたとある。)
私は学生時代に暗号記法の分類というものを作ったことがあり、それを大正14年の「探偵趣味」にのせ、昭和6年の随筆集「悪人志願」にも入れておいたが、それを少し補訂して左(下)に掲げる。
戦争のおかげで、暗号記法が非常に進歩し、自動計算機で複雑な組み合わせを作るようになったが、こうして機械化してしまうと、以前、暗号というものに面白みを与えていた機知の要素がまったくなくなってくるので、小説の材料には適しなくなった。現代から暗号小説というものが殆ど影を消した所以である。
私の採集した暗号小説はわずかに三十七例に過ぎないが、それらを私の分類の項目に当てはめてみると、(C)の「寓意法」と(F)の「媒介法」に属するものが最も多い。これによっても小説としては機知のある暗号が喜ばれていることが分かる。
(以下、分類項目のみ)
(A) 割符法
(B) 表形法
(C) 寓意法
(D) 置換法
 (1) 普通置換法  [イ]逆進法 [ロ]横断法 [ハ]斜断法
 (2) 混合置換法
 (3) 挿入法
 (4) 窓板法
(E) 代用法
 (1) 単純代用法  [イ]図形代用法 [ロ]数字代用法 [ハ]文字代用法
 (2) 複雑代用法  [イ]平方式暗号法 [ロ]計算尺暗号法 [ハ]円盤暗号法 [ニ]自動計算機械による暗号法
(F) 媒介法
その他、あぶり出し、隠顕インクの使用による秘密通信、音楽による代用法、楽譜の暗号、縄や紐の結び目による代用暗号法、暗号としての神代文字など、いろいろあるが、大体の種目は以上につきると思う。

以上であるが、各作家が乱歩のこのような意見に発奮したのか、最近はかなりの暗号小説が出版されている。お陰で楽しめる。
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