海外の暗号小説
第11話 江戸川乱歩賞と暗号小説 H16.11.28
江戸川乱歩賞は、今年2004年に第50回を迎えた。防衛庁・自衛隊も今年50周年だという。大東亜戦争後の復興と朝鮮戦争の混乱の中で、推理小説の新しい歴史が刻まれ始めたということだろうか。
乱歩が、自らの還暦を祝って寄付した100万円を基金としてこの賞が出来たと言う。
この歴史の中で、暗号小説が5作ある。平均10回に1回が、暗号小説ということになる。第12回「殺人の棋譜」(斉藤栄)、第16回「殺意の演奏」(大谷羊太郎)、第26回「猿丸幻視行」(井沢元彦)、第28回「黄金流砂」(中津文彦)、第31回「モーツァルトは子守唄を歌わない」(森雅裕)であるが、この20年程は選出されていないことになるが、やや寂しい。
今後、選出されることを期待したい。
第12話 「探偵作家としてのエドガー・ポオ」:江戸川乱歩からポオの暗号論について@ H16.12.12
「宝石」昭和24年11月号に発表して、その後「幻影城」に収められた乱歩の作家論。
「ポオ小説全集4」の巻末にも収録されている。
その中に、ポオの暗号論について記述しているので紹介する。(「1 推理三昧」より)

ポオが、これ(暗号論)を発表したのはフィラデルフィア在住時代、「モルグ街」と同年の1841年だが、この年から翌年にかけては、ポオの生涯で最も幸福な時代であった。即ち同市の雑誌経営者グレアム氏の信頼を受けて、「グレアム雑誌」創刊と共にその編集長となり、編集、執筆に努めて、はじめ5千部であった同誌を2万7千部まで伸ばし、年俸も8百ドルに昇格した。これはポオの生涯での最高の給料であった。
ポオは、この年、彼の編集する「グレアム雑誌」で、読者から難解な暗号を募り、これを解いて見せることをはじめた。ポオの推理マニアが暗号解読を楽しむと共に、これを雑誌の人気取りに利用したのである。数号に亙ってこれが続けられ、ポオは悉くを解いたと誇称している。彼の「暗号論」というのは歴史上の各種の暗号記法について解説したあとに、その読者出題を例示し、彼の解答をも示したものである。ポオがそれから3年の後、暗号小説「黄金虫」を書いたのは偶然ではなかった。しかもポオはあの「黄金虫」の暗号を最も簡単な易しいものと称しているのである。
第13話 「探偵作家としてのエドガー・ポオ」:江戸川乱歩からポオの暗号論についてA H16.12.26
第12話の続き(「3 トリックの創造」より)

第三作「黄金虫」は前半の怪奇小説の部分を褒める人が多いけれども、私はやはり後半の推理の部分に心酔している。ポオ自身はこれを最も簡単な暗号と言っていたにもせよ、私は初読の時、この暗号解読の手順のすばらしさに、文字どおり驚嘆したものである。あとになってアルファベットの頻出度の統計は、ポオ以前から言語学者によって行われていたことを知って、やや失望したが、それにしても、これに着眼して小説に取り入れたポオの創意には敬服せざるを得ない。
ポオの「構成の原理」によれば、この小説の着想の中心は恐らく暗号解読にあったと思われる。その中心題目を捨てて、前半の怪奇のみを賞美するのは、作者の真意にも添わないわけである。ドイルはこの「黄金虫」の暗号部分を採って「踊る人形」を書いた。タイプライターの記号を、旗を持つ人形に変えたのみで、解読の方法はまったく同じある。
現代の暗号記法は、ポオの時代とは比べものにならないほど複雑化している。アメリカの女流探偵作家ヘレン・マクロイは最新の暗号知識に基づいて、長篇「パニック」(1944年)を書いたが、暗号発達史を理解するのには役立つけれども、暗号そのものは機械的で機知がなく、少しも面白くない。又、1947年レイモンド・ボンド(米)編纂の「暗号ミステリ傑作選」が出版され、好評だったので、私も一読したが、探偵小説始まって以来の佳作を集めたその中にも、「黄金虫」ほどの驚異のある作品は一つもなかった。結局、ポオは暗号小説においても、もっとも古く、しかも優れた作家だったということになる。

ヘイクラフトは「娯楽としての殺人」の中にこう書いている。「往々にして『黄金虫』は探偵小説と呼ばれるが、これは間違っている。ミステリーの、また分析推理の傑作ではあるけれども、主人公ルグランのすばらしい推理のデ−タが、予め読者に示されていないという、簡単明白な理由によって、これは探偵小説ではない。(略)
ヘイクラフトは、他の場所では必ずしもそうではないのに、ここでは単なるミステリーと探偵小説とを峻別している。こういう考え方をすれば、西洋の傑作集などに入っている探偵小説の半ば以上が、不合格になってしまうであろう。
『黄金虫』は形式は普通の探偵小説と違っているけれども、仮に前半と後半を分けて考えれば、少なくとも後半の暗号解読の部分は純探偵小説である。これほど推理の快感を盛った作品は滅多にないと云ってもよい。又、データを示さないというが、暗号文は解読に入る前にちゃんと示されている。それが徐々に解かれていって奇妙な文章になり、さらにそれを解読する順序を踏んでいるのだから、別にデータを隠したことにはならない。型どおりの探偵小説ではないにしても、その推理興味の強烈な意味で、世にありふれた本格ものなどよりも、はるかに本格味を持っていると思う。
第14話 泡坂妻夫の「暗号三昧」より暗号小説の苦労話 H17.1.8
泡坂氏は、「かげろう飛車」を執筆した時、「暗号三昧」という随筆を付録のように書いている。「秘文字」という、『暗号で書いた小説』を3編載せたユニークな本が、昭和54年社会思想社から発刊されたがその中の1編が泡坂氏が書いた「かげろう飛車」である。

私は、次から次に、ユニークな、あるいは本格的な暗号小説が出現するのを楽しみに待っているが、暗号小説を書くほうの作家の苦労と出来上がったときの満足感が、この随筆から推測できる。

普段から筆の遅い私を心配して、編集長が聞いた。
「毎日、どのくらい分量を書いているね?」
私は指を二本出して見せた。
「2枚?」
私は、あわてて首を振った。
「2枚なんてとんでもない。2行も書くとふらふらになります。」
嘘でも掛け値でもなく、本当のことだった。暗号を作っている最中だったからだ。
次の号(幻影城)、編集後記に「泡坂氏は大変な遅筆家だ」と書かれてしまった。
探偵小説を書き始めた頃、前人未到の暗号を作ることが夢だった。
アイデアは前から温めているものが一つだけあった。暗号の種類は換字式で、江戸川乱歩の『2銭銅貨』と同じ手だが、出来上がった暗号は、記号の羅列や、無意味な文字の配列ではなく、はっきりと意味の通る、独立した文章にするというのが私の野心だった。
私は大いな意欲を持って、暗号を作り始めた。
ところが、いざ取り組んでみると、その大変なことといったらない。
ある法則に従い、一つ一つ文字を選び出す。しかも、それが文章になっていなければならない。とても文藻をねるなどとはほど遠い。ちょうどジグソウパズルの断片選びと同じ具合だった。自分で作った規律にがんじがらめになり、一行書くと頭がくらくらした。不自然な個所もできたが、それは作中の探偵が暗号解読の手掛かりとすることで誤魔化し、暗号が完成したとき、
「もう、二度とこんな馬鹿手数の掛る小説は書くまい!」
と、固く心に誓った。(略)

ところが、です。
中井英夫さんの紹介で田中敏郎さんが私のところに見えて、不思議な本を作る企画を教えてくれた。
一冊の本の内容を、暗号にして出版したいというのである。
私はびっくりして目を丸くした。そんな本を作って売れるのだろうか?(略)

田中さんの依頼は、暗号に関する本文の小説を書いて欲しいということだった。うっかり引き受けると、とんでもないことになるぞと思いながら、何だかわくわくした気分になった。
わたしの中で、暗号の虫がもぞもぞ動き出し、田中さんの話を聞いているうちに、全身にはしゃぎ始めるのを、押さえるることが出来なくなった。
「もし、その小説が、暗号小説になっているとしたら、面白い趣向になりますね」
と言ったとき、私はあの時の苦労を、すっかり忘れていたとみえる。
というわけで、またあの苦労と楽しみを味わうことになったが、この小説が完成するまで、奇術の道具をひろげて、独りでにやにやする時間が、大幅に減ってしまった。

(「秘文字」、「斜陽」に所収)
第15話 第26回江戸川乱歩賞「猿丸幻視行」選考時の選評 H17.2.12
第26回乱歩賞の最終予選に残った候補作は、島田荘司「占星術のマジック」、関口甫四郎「北溟の鷹」、長井彬「M8以前」、井沢元彦「猿丸幻視行」の4編である。
選考委員は、五木寛之、海渡英八祐、斉藤栄、南條範夫、三好徹の5氏である。(1989年7月)
今回の応募作品は198編で、第1次選考で42編に、第2次選考で17編が選ばれ、最終候補が編ということである。
選評:
斉藤栄氏:
「猿丸幻視行」は、完全なる暗号小説である。私自身、「殺人の棋譜」、「奥の細道殺人事件」など暗号ものを好きで書いてきたので、一番関心があった。資料的に重複する嫌いはあったが、作者の暗号製作への情熱がよく表現された力作である。こうした密度の高い本格的な作品こそ、真に乱歩賞にふさわしいものとして推した。若い作者の将来に期待したい。
三好徹氏:
「猿丸幻視行」は多くの委員の支持を得た。作者は数年前に応募してきているが、そのときの作品に比べると、格段の進境を見せている。人麻呂の名前が、猿丸に変えられたのではなくて、その逆だろうという推理は、従来の史家の説にないならば、評価されてよい。年齢的にも、これからの活躍を期待できる新人である。
南條範夫氏:
猿丸幻視行−先ず、26歳の新鋭がこの力作をものにしたことに祝意を表したい。むろん難点はある。SF的発端と末尾が照応しないこと、引用がくどく重複していること、梅原氏の著書によりかかっている点が多いことなど。だが、それらの欠点を帳消しにするに足る面白さ、巧妙な暗号解読に魅せられた。山中峯太郎、東条英機、南方熊楠などを登場させているのも思わず微笑させられた。
海渡英祐:
井沢元彦氏の「猿丸幻視行」を読んだときに、私は「これだ」と思ったが、その通りの結果になって、大いに満足している。柿本人麻呂イコール猿丸大夫という説や、いろは歌の謎の解明の部分が、他人の説に寄りかかりすぎている、という意見もあったが、本人の独走と思われる個所のあるし、若き日の折口信夫を主人公にしてそれを再構成し、秘めたロマンスをもりこむなど、こりにこった小説に仕立て上げた手腕を高く評価したい。5年前に、同氏の作品が乱歩賞候補になったとき、私はたまたま予選委員を務めていたが、その時にくらべると長足の進歩が認められる。26歳と言う若い作家の今後には大いに期待ができるのがある。
五木寛之氏:
私の主観では、井沢元彦氏の「猿丸幻視行」が他の候補作より1歩ぬきんでていたように思う。暗号解読にややこしい手続きや、殺人のトリックなどにはそれ程興味をひかれなかったが、発想がユニークで、文章もまずまずだし、作品全体に若々しさが感じられてこのましく受けとめることができた。これからの可能性も期待できる書き手だろう。先人の業績を土台にしながら、そこから自分なりの発見を提出しているのもいい。今後は、物語の長さに頼らず、引きしまった小説をこころざして欲しいものだ。「猿丸幻視行」にしても、四百枚くらいに整理することは不可能ではあるまい。いずれにせよ、新しい作家の登場に拍手を送りたいと思う。

以上であるが、各選考委員の選評通り、井沢氏は素晴らしい活躍をされている。特に小説化としての本業と共に、日本のあるべき姿を訴えていることに敬意を表したいと思う。

第16話 テレビ番組「サルヂエ」 H17.2.20
日本テレビの月曜日の深夜番組「サルヂエ」をご覧になったことがありますか。2340分頃から、あるいは日にちを超え0010頃から放映することもあります。
この番組は、猿に扮装した司会者2名が、ゲスト4名に対し、言葉遊びの問題を出し回答させるクイズ番組です。
これが、面白い。暗号ファンにとっては是非見逃せないクイズ番組だと思う。問題の中に、「暗号問題」と名付けたものもあるが、殆ど全部が暗号問題だ。

例として、出題された問題を紹介しよう。答えは、最後。

1 お昼に手を上げている人がはいている靴は?
2 10匹のライオンが食べる野菜は?
3 羊よく眠れる薬は?
4 コケの中に六つある食べ物は?
5 おならを三回するキャラクターは?
6 9が嫌いな動物は?
7 400字詰めの原稿用紙25枚を埋めるために書く話は?
8 本の表紙に必要な2匹の動物とは?
9 中華まんの蒸らし具合が気になる芸能人は?
10 体のある部分を怪我すると侍がお見舞いに来る。その部分は?
11 (暗号問題) 田  海外旅行はここに行きたいと言い、このように書いた。
            ス  どこの国か?
わからない時は、適当にヒントをくれるが、頭が凝り固まり、迷い始めるとわからない。

答:1 ハイヒール 2 しし唐 3 目薬 4 コロッケ 5 プーさん 6 スカンク 7 自慢話 8 ヒョウ、ウシ
  9 中村獅堂(中の蒸らし具合 ドウ?) 10 くるぶし 11 スウェーデン

如何ですか?是非ご覧になって楽しんでください。
第17話 ワープロによる暗号小説の原稿書き:斉藤栄の「平成元年の殺人」から H17.3.6
 これだけパソコン(かつてはワープロ)が普及した今日、公文書を始め、企業の各種書類・資料作成等公私を問わず、パソコンのワープロソフトあるいは計算ソフトを活用するのが当たり前の世の中になった。
 それでは、作家が小説を書く時、原稿は手書きなのだろうか、それともワープロ(ワープロソフト)なのだろうか?
 定かではないが、かなりの作家がワープロを使い、避暑地やホテルで書いた原稿を、依頼元の編集者にインターネットを通じて送っていることを書いてある新聞や雑誌のエッセイ等を読むことがある。

 では、推理小説、なかんず「暗号小説」の原稿書きにおけるワープロの利用はどう影響するのだろうか?
 暗号作家を自称する「斉藤栄」氏が、「平成元年の殺人」の中で、推理小説作家を熱望し、作家に弟子入りをし、文通により推理小説について論争する課程において、このことにについて述べているので紹介する。
 これは、当然、斎藤氏の論と捉えて良いであろう。

弟子: 
 先生もワープロをお使いになることをお勧めしたいのですが、ワープロの漢字というものは、多くの範囲のものがインストールされていると思うのですが、先生のように暗号ものが非常に多い作家にとって、どうなのかなと言う気はしました。
 暗号というものは、文字について非常に制約のあるものです。
 例えば漢字の種類にしても、特殊なものを使うかもしれません。それからまた、その配列についても、字体についても、わざと間違っているようなものを使うと言う方法もあると思うんです。
 そんな時、ワープロだと、ちゃんとした字が出てしまします。それはなかなか困ったことになるような気がするんです。つまり、ワープロにはワープロ独特の間違い方というものがあることになるんですから。
 僕は、以前から、ワープロによる暗号作品というものについて、少し研究してみたいと思っていました。
 おそらく先生が、ワープロをお使いにならないと言う理由の一つに、暗号ものをたくさんお書きになっているということがあるのではないかと、拝察しているんです。

先生:
 ワープロ自身が暗号小説に向いているかどうかということも、これは実際に小説で使ってみないと、私にはまだ何とも言えない。
 実際に使ってみると、いろいろ問題はあるだろうね、それは。
 ただ、暗号というものは、昔、小栗虫太郎が作ったような、非常に複雑で、現実離れしたものでは、今では向いていないと私は思う。
 だからその面で、かえって平凡なワープロの中にある語彙を使って暗号トリックを作るということのほうが、自然でいいのではないかと思う。
 手書きだと、その点、どうしても一人よがりな、自分だけの難しいものを作ってしまいやすい。
 その意味で、自分に枠をはめるという見地から、私はワープロをむしろ積極的に使おうかと思い始めたんだ。
第18話 渡辺 剣次氏の「暗号小説小論」:[13の暗号]−あとがきにかえて−から H17.4.3
本小論は、四項目に分け記述されている。
1 暗号記法(暗号形式)の分類法について
2 ポーの「黄金虫」について
3 ドイルの「踊る人形」、ポーストの「大暗号」について
4 ダイイングメッセージについて
*この小論は、昭和50年に発表されたもので、30年もたった今では、恐らく違ったものになると思われるが、それは別にして一読に値する。

1について
 ・暗号の研究は、欧米では非常に盛んで文献も豊富である。一方、わが国では、その研究は寥寥たる物で、現在市販されている図書も十指にみたないありさまである。
 ・長田順行氏の「暗号」、「暗号の秘密」から暗号の形式を紹介している。
 ・江戸川乱歩氏の「類別トリック集成」から暗号記法の種類を紹介している。
 ・その他に田中潤司氏の「暗号のはなし」、辛島驍氏の「暗号と推理」、等にもあるが、「定説はない」ということが結論か。
 (私の感じるところ、作家は「暗号記法」という用語を、理論家は「暗号区分」「暗号形式」と言う用語を使っていることからとても定説までは行かないのではないかと思う。今でも著者により用語、区分が異なっている。)

2について
 ・ポーが、1843年に「黄金虫」を発表したことは、決して唐突なことではない。謎と論理を異常に愛しており、名探偵デュパンの性格として「モルグ街の殺人」の冒頭で次のように描写している。
 「分析的な知性の持ち主にとっては、頑固な人が激しい運動で満足するように、錯綜した物事を解明する知的活動に、この上ないたのしみを見出すものだ。その人は、才能発揮の機会があれば、どんなつまらないものにでもいい。かれは、なぞなぞ、判じ物、そして暗号を好む。そして、凡庸な人間が、ふしぎと思うくらい、その解明、解読にするどさを見せるものだ。」
 これは、ポー自身の告白でもあり、それを実証するように、「暗号論」を、自ら編集する雑誌「グレアム」に発表している。
 ポーは、1841年「暗号論」を発表。2年後に暗号小説「黄金虫」をニューヨークの新聞「ダラー」の懸賞小説に投稿し、賞金100ドルを獲得している。
 この[黄金虫]には、一つの暗号の、二重の解読が含まれている。(細部略)

3について
 ・ポーにつづくコナン・ドイルのシャーロック・ホームズ物には、暗号小説が多い。
「マスグレイヴ家の儀式」は、寓意法。「グロリア・スコット号」、「ギリシャ語通訳」は、置換法(挿入法)。「踊る人形」は図形代用法を使っている。」(略)

 ・メルヴィル・D・ポーストの「大暗号」(略)
 ・いずれの作品も、作者が、暗号解読のプロセスに力点を入れる以上に、背景の物語に、高度の工夫を凝らしている。上等な材料に、特有の味付けをするコックの腕の冴えを感じさせる。

4について
 [ダイイング・メッセージ」は、事件の被害者が息を引き取る際、犯人の名前や、重要な言葉を手掛かりとして残すことで、現場に残されたサインを一種の暗号として推理し、解読するものである。
 それは、断末魔の被害者のかすれた声や、しっかりと握られた手の中の品物、そして大急ぎで記された簡単な、あるいは乱暴な文字であったりする。いずれも、江戸川乱歩氏の分類法では、表形法か、寓意法に相当するもので、その作品は少なくない。
 特に、エラリー・クイーンは、このトリックに、つよい愛着をもっており、代表的な作品としては「Xの悲劇」がある。(略)
 
以上述べてきたように、推理作家の手になる暗号小説は、水脈の耐えることなく書き続けられているが、その作品の大部分は短編であって、長篇の数は少ない。暗号解読の興味だけで、長篇をささえることは苦しいためであろう。また、長篇のトリックの中の一つとして使われる場合はあっても、それは暗号小説とはいえないからである。           (1975.8.28)
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