海外の暗号小説
第43話 吉田満著「戦艦大和」の真偽について H19.8.23
今回の余話は、「暗号」が主題ではない。が、本サイトで紹介した本についての真偽である。

8.14付けの新着本で紹介した吉田満著「戦艦大和」、私はすばらしい本だと思い、解説に阿川弘之氏が
「戦艦大和」は、どんな軍人が書き残した戦記よりも克明詳細で貴重な戦記であり、戦後現われたどんな戦記文学よりも優れた戦記文学であることを信じて疑わない。
等々述べられておられ、戦記ものとして、暗号戦史に掲載した。

しかし、新着本として紹介して4日後、古本屋で雑誌「
Wlill 2006.1月号」を見つけた。その表紙に

総力特集「見直し、大東亜戦争」とあり、大きく『
吉田満「戦艦大和」の嘘 粟野仁雄』とある。
「これは何だ!」と購入し、帰路の電車の中で一気読み。

以下、その要旨を記述する。

粟野氏がこの原稿を書いたきっかけは、朝日新聞2005.4.7付けの天声人語にある。
そこに戦艦大和の最期から引用した文章がある。
「初霜救助艇の艇指揮及び乗組下士官が、漂流者を艇に満載した後、更に収拾すれば転覆避けがたく、日本刀で犇く腕を手首よりバッサ、バッサと切り捨て・・・・」

実名こそないが、事情を知る人が読めば、手首よりバッサ、バッサと切り捨てたとされる人物は特定できる。当時、通信士として駆逐艦「初霜」で沖縄特攻に向かい、大和撃沈時初霜の内火艇の艇指揮となって救助活動に当たった松井一彦氏しかいない。吉田氏の「戦艦大和の最期」では、「砲術士からの伝聞」となっているが、吉田氏はいったい、いつ誰から聞いたのだろうか。

大和の乗組員で駆逐艦「雪風」に救助された福山市在住の八杉康夫氏は、「這い上がってくる仲間の兵隊の手首を軍刀で切るなど絶対にありえません」と断言。

内火艇は船べりが高くて、海面に顔を出しているような漂流者の手は届かない。さらに、海軍下士官がそんなときに軍刀を持っているはずもない。
内火艇には、羅針盤が設置してあり、軍刀が磁気に影響するので、艇指揮は必ず軍刀は外して行きます。
仮に救助艇が満杯になって沈みそうになっても蹴落としたりする必要はない。みんな丸太を持っていたのだから、たくさんあるロープを流してやればいい。海軍のマニュアルにもある。

八杉氏は1977年頃、吉田氏に直接会い、問いただしたと言う。「吉田氏は、この作品をノンフィクションと言った覚えはない。と言った。」

当の松井一彦氏も健在。弁護士として活躍中。
「軍刀を救助艇に持ち込むはずもない。バランスが悪く、足元は重油で滑り、軍刀なんて振り回せるものではない。」

松井氏は、出版当初から「事実無根」だと反論した。1977年、再出版の情報を聞き、吉田氏に抗議の手紙を送った。すぐ返事が来た。
「22年前の出来事であり、どこまでが物理的事実であったか、何びとにも明らかでないでしょう。・・・」
次に吉田氏に会った時、吉田氏は「次の出版の機会にあの部分を削除するかどうか、私の立場と考え合わせながら、十分判断し、決断したい。」と述べたと言う。

しかし、吉田氏は1979年他界。その後、差し止め請求等も考えたが、海軍士官として言い訳みたいなことはしたくなかった。伝聞とも書いてあるし読者にはわかってもらえるかと・・・。

天声人語に関して、松井氏は、「これでは吉田氏がは直接見た事実と誤解される」と朝日新聞に抗議したが、「本に書いてあることを引用しただけで誤報ではない」と朝日新聞は取り合わなかった。

(その他、数箇所に明らかに事実と異なることが書いてあると述べているが省略する。)

実は、「戦艦大和の最期」が「サロン」という雑誌に始めて掲載された時、タイトルは「小説・軍艦大和」だった。あくまで小説だったのだ。
それが、その後出版された版では小説の二文字が取れ、いつの間にかノンフィクションのようにとられていく。吉田氏も敢えてそれに異を唱えなかった。

八杉氏は「吉田さんの本は素晴らし戦争文学です。だからこそ、特に「手首きりい」の点は、事実ではなかったという注釈をつけるとう訂正していただきたかった。それが大和に関わったすべての人々の願いだと思います」


以上が要旨であるが、吉田氏の「戦艦大和」を読んだだけでは、そこまで読み取るのは困難であろう。
まして、阿川弘之という超大物が解説を戦記ものとして書いているのだから。
小説であれば止むを得ないが、戦記として出版していることに問題が生じている。
幅広い読書、勉強をしないと偏った知識で物事を判断してしまう。

歴史、特に戦史の事実を究明することは実に困難だと思う。
特に太平洋戦争については、歴代の政府・政治家の真実究明努力不足(と言うより逃げ腰)、近隣諸国との政治問題、国内の所謂進歩的文化人の偏った解釈がマスコミに載ることが多く、真実を追究しようとすると「軍国主義」と罵られる傾向にある。
学校教育でも、かなり偏っていると思われる面が多々ある。

こういう面において、歴史の真偽の追及は暗号解読よりも難しいのかなと思う。逆に歴史は謎解きに繋がる面が多く、歴史的な謎解きを「○○の暗号」等と称して数多くの本が出版される一因となっていると思う。
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