海外の暗号小説
第65話 開戦通告の遅れの真相は? H20.12.9
毎年、開戦記念日の12月8日頃になると、新聞雑誌等において開戦にかかわるエピソードあるいは秘話等の特集が掲載される。
今年も一つ目に付いた。(勿論暗号関係)

週刊新潮12月11日号の「開戦通告の遅れ」は大使館の怠慢だったのか:元ニュージーランド大使・井口武夫氏

このテーマは、本ホームページにおいても太平洋戦争開戦、あるいは真珠湾奇襲攻撃に関する暗号関係の本に頻繁に出てくる問題である。

1941年12月8日、真珠湾奇襲が「騙し討ち」の汚名が・・・特に以下の二つの回想録によるものが通説となった。
・ 一般的には、駐米大使による開戦通告が大使館の不手際でハル長官に渡すのが、30分遅れたことによる。
 東郷元外相の回想録:在米大使館が電報の翻訳に幾分の怠慢があった。
 加瀬俊一回想録(米第1課長):前夜遅くまで送別会で痛飲したためで、恐るべき怠慢である

井口氏:今年7月、「開戦神話 対米通告はなぜ遅れたのか」出版、 父親・・当時駐米日本大使館の参事官;

*開戦通告の遅れの決定的な部分は、陸軍参謀本部や外務省が責任を負うべき。
 ・ 当時の東郷外相や本省を守るために、現地大使館に原因を押し付けた。それが、[怠慢]の神話になった。
 ・ 外務省には、東郷・加瀬外交史がある。その言説が生き字引になり、通説となった。
 ・ 回想録は、正確な部分はあるが、開戦通告については自己弁護。

* 日本が米に出した通知は、国際法上、最後通牒、最後通告に当らない。
 ・ 軍部は、開戦をギリギリまで伏せたかった。英国にも出していない。
 ・ ハーグ条約にある規定に合致しない。
 ・ 原案文から、最後通牒に当る文章を削除している。・・・・奇襲を優先。

* 電文の遅れは本省の責任
 ・ 肝心の第14部は当初の予定より12時間遅れ。13部の送信から15時間も間隔があいている。
 ・ 現地では、13部まで読んでも開戦とは判断できなかった。
 ・ 海軍武官の証言で、大使館の郵便ポストに大量の文書が放置されていたと非難しているが、それは陸軍の新庄大佐の葬儀の弔電である。本省電報は、当直が直接受け取っており放置はしていない。
 ・ 14部に「大至急」の指定は無かった。
 ・ 13部までの電文に175文字の誤字脱字があった。

* 軍部と本省は、奇襲を悟られぬために策を弄し、現地の大使館も欺いた。それが知音の原因。

推論しか出来ない分野が多く、結論はすぐでないだろうが、一石を投じたことは確かである。
数名の評論化が論評を書いているが、それぞれの立場における論評の域を出ていない。

加瀬氏の回顧録を読んだ限りでは、かなり、自己弁護、本省弁護に感じる面があることは否めないと感じた。
井口氏の本も読んでみないと・・・・
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