海外の暗号小説
第74話 佐野周二さんも陸軍暗号員だった H21.3.27
第13航空通信連隊第2中隊所属の暗号のエキスパート「関口正三郎曹長」、実は松竹スターの「佐野周二」だった。
今テレビ等で活躍している関口宏さんのお父さんである。

佐野さんは、立教大学経済学部を卒業し、昭和9年近衛第1連隊に入営し、乙種幹部候補生になった。
昭和10年陸軍歩兵伍長で除隊し、義兄の経営しておられた神戸の貿易会社に入社したが、松竹が「家族会議」を映画化するに当たって新人俳優を募集した時、友人に勧められて応募した。

近衛兵から帰ったばかりで、言葉も丁寧で礼儀正しく、面接の成績が良く、千人の応募者の中から、選ばれた。

この頃は、伍長に任官の際に、好きな兵科に転科できたので、近衛歩兵連隊で通信を特業とした人たちは、移動が自動車の航空通信に転科することが多かった。
この頃までは、暗号業務は将校が行うものとの考えから、「特種学生」と呼ぶ暗号将校学生しかなかったが、下士官学生の特種学生の制度が創設され、その初期の学生が、佐野さんだった。

昭和13年7月に召集令状が来て、第15航空通信連隊に入隊して、陸軍軍曹の暗号掛下士官として、中国大陸各地での飛行場で、昭和16年4月まで、航空通信の職務に従事された。

その後、2度目の召集が来て、東部第6部隊に入隊し、曹長に進級、昭和19年6月に召集解除になり、第13航空通信連隊の強化のために、昭和20年3月に3度目の召集が来て、幹部候補生出身としては珍しい営外居住の上級曹長として第13航空通信連隊第2中隊に入隊した。

佐野さんは、映画俳優が暗号のエキスパートになったのではなくて、暗号のエキスパートが映画俳優になったのである。

復員してはまた召集されたのは、陸軍が俳優としての仕事に戻し、また必要があって召集したわけで暗号のエキスパートとして、度々召集される理由は知っていたが、守秘義務があるため、テレビのインタビュうーでは「どうして、自分ばかり、度々招集されるのかと思った」と話しておられたと言う。

(浦田耕作著:「誰も書かなかった日本陸軍」より)
inserted by FC2 system