海外の暗号小説
第86話 沖縄の「旧海軍司令部壕」を見学して H22.5.5
先月、25年ぶりに沖縄を訪問する機会を得た。
驚くほど変わっていた。近代化し、活気が溢れていた。飛行機から降りた那覇は一瞬、ハワイではないかと思えるほど美しく整備されていた。

昨日、愚かな日本国総理大臣が就任後初めて沖縄を訪問し、普天間問題で、相変わらずのおバカさん振りを発揮した。中国や韓国からすれば、大助かりであろう!国際・政治音痴の首相を持つ日本国民のなんと不幸せなことか!
ここではそんなことを述べる場ではないので、これでお仕舞い。

時間が少々あったので、我らの先輩(大東亜戦争で戦った兵隊さん)を忍び、慰労する気もあり、旧海軍司令部壕を見学に行ってきた。

現場は海軍壕公園として予想以上に整備されており、驚いた。
一般的に旧軍の各種施設特に慰霊碑とか戦跡は、保存状態が悪いイメージを持っていたが、立派な公園であった。
旧海軍司令部壕は、その中心地である高台に、慰霊の塔やビジターセンターが作られていた。「海軍戦没者慰霊の塔」を参拝し、ビジターセンターから司令部壕に入る。
壕に入る前に、資料館を見た。広くはないが、沖縄戦の凄まじさを感じることが出来た。日本人より、外人恐らく米国人が多く、興味津々と写真や年表、兵器等を眺めていた。

そこに「暗号機」の写真があった。「沖縄戦当時、使用された暗号解読機」と説明がある。
変だな?日本軍がこのような暗号機を使用したはずはない。米軍が使用した暗号機かな?米軍のM209にしては、形が違う。ドイツのエニグマに似ている。
また、「暗号解読機」と言う説明はどういう意味か?誰がどの暗号を解読したの?
帰宅後、写真と手持ちの資料を比較し、やはり「エニグマ」であることを確認した。

何故、あそこにあの写真が展示してあったのだろう????

これは推測だが、壕を見学すると、「暗号室」があったので、その関係で暗号について良く知らない担当者が、どこかで入手した「エニグマ」の写真を、この司令部壕で使っていたように展示してしまったのだろう。

それはそれとして、海軍壕は良く整備されていた。勿論、崩壊防止等のため、昔のままとは行かないが、雰囲気なり、厳しさが分かるほど、壕は残っており、保存されていた。

【海軍司令部壕】
昭和19年、日本海軍設営隊(山根部隊)によって彫られた司令部壕で、当時は450mあったといわれている。かまぼこ型に掘りぬいた横穴をコンクリートと坑木で固め、米軍の艦砲射撃に耐え、持久戦を続けるための地下壕で、4000人の兵士が収容されていた。戦後しばらく放置されていたが、数回にわたる遺骨収容の後、昭和45年3月、刊行事業団によって司令官室を中心に300mが復元された。
 
   参観券           慰霊塔          慰霊塔の説明         壕の見取図
  
問題の暗号機の写真     暗号室        公園全般の案内図
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