海外の暗号小説
第102話 西郷どん101年目の歯ぎしり H23.4.25
図書館で、過去の新聞を見ていて面白い記事を見つけた。
昭和52年11月8日の読売新聞(夕刊)である。

「熊本県の郷土史家・江藤政光さんが、官軍側が使用した暗号を解読した」と言う記事である。
官軍側の熊本鎮台(熊本城内)からは、何度も暗号の手紙が出されており、薩軍側がこの手紙を解読していれば、熊本鎮台は完全に落とされ、その後の日本史にも大きな影響を与えたはずだと言う。
これまでの西南戦争研究所は、その内容が解読できないため、「ヒメ グカメヌハン メレテノ ナチ子ロム・・・」と訳のわからない原文や、ただ「隠語を所持せり」と書いてきただけに、研究者らに注目されている。


明治10年2月22日、官軍側の熊本城は薩軍に包囲され、城を落とすための戦闘も行われている。
包囲された熊本城からは、この期間に約20通の暗号手紙が出されている。

江藤氏は、原文の暗号と歴史的事実、官軍側で解読された手紙類、電報などを突き合わせ、片仮名の暗号を翻訳できる暗号表を作った。
アはワ、イはロ、ウはレ、エはル、オはリ・・・・等

2月26日、鎮台側の谷村計介が玉名市高瀬の官軍に届けた手紙
「ムケレフクト オクレムキュ 子ソムチキヌフリ メメチケム ムクレテレベンケユノコヌキクレワオ ヘヌマレムケレ ヒヒラ子ム・・・・」は
「城中の糧食、なお十余日を支うべし。銃砲弾薬共に余裕あり。谷少将つつがなし・・・」と翻訳できる。

同様の手紙のうち、約半数が薩軍側の手に入っているが、これを解読できず。暗闇にまぎれて官軍側が食料を場内に運び入れるのを許してしまった。

薩軍側は攻撃に失敗、4月14日包囲を解き、その後は一方的に官軍に滅ぼされることになる。もし、薩軍が、官軍側の食糧難を知れば、攻撃方法も変わり、戦争の行方が変わっただろうと言うことは出来るかもしれない。

江藤氏は、その他に警視局(警察)の暗号も解読に成功している。

掲載されている「官軍使用暗号解読表」を見ると、単純は換字表である。「アイウエオ・・・」を逆に当てはめて「ワロレルリラ・・・」となっているので、真剣に解読に当たれば解読できた可能性は高いと思う。が。この当時、薩軍に暗号について、どの程度の知識があり、相応しい人材がいたのか不明であるので、これ以上のことは何とも言えないであろう。

しかしながら、江藤氏が、乏しい資料からこの研究をされて成果を上げられたことに感謝せねばなるまい。
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