海外の暗号小説
第66話 陸軍登戸研究所の見学・・・・現明治大学構内 H20.12.14
昨日(平成20年12月13日)、川崎市多摩区東三田1−1−1、現在明治大学生田校地に遺さている陸軍登戸研究所を見学してきた。
一人で行くつもりであったが、「旧陸軍登戸研究所の保存を求める川崎市民の会」が主催して見学会を実施することをネットで知り、申し込み見学した。
毎月1回実施しているそうで、通常数十人が参加するらしいが、今回は4人のみ。年末で、肌寒い時期だからだろうか?でもお陰で貸切案内のようなもので、案内をしてくれた同会のT嬢の懇切丁寧な説明・案内、そして質問に対して要領よく答えてくれ、スムーズに見学が出来た。コースも効率的に案内して頂き、大変良かった。
一人で行ったら、場所を探すだけで苦労しただろうし、正門で手続きをしないと変なおじさんが勝手に歩いていると守衛さんに不審者として扱われるようだ。

今まで、関係する本は数冊読んでいたが、ごく一部の建造物等しかないとは言え、実在するものを目で確認すると言うことは有意義である。

*主要な遺跡:動物慰霊碑、ヒマラヤ杉、消火栓、26号棟・5号棟(木造)、36号棟(コンクリート)、弾薬庫、弥生神社

*本ホームページで紹介している本
 ・陸軍登戸研究所の真実:伴繁雄著
 ・陸軍登戸研究所の青春:新多昭二
 ・その他、陸軍中野学校関係の本
*その他の関係する文献
 ・陸軍登戸研究所:海野福寿・山田朗・渡辺賢二著
 ・消された秘密戦研究所:木下健蔵著
 ・高校生が追う陸軍登戸研究所:教育史料出版会
 ・その他多数。特に風船爆弾関係が多いようだ。
   
     NO.1           NO.2             NO.3             NO.4
・NO.1〜NO.3:動物慰霊碑。高さ3m程。裏面(NO.2)には「陸軍登戸研究所」「昭和十八年三月」とある。書は所長の「篠田鐐」氏(NO.3)。正式名称は「陸軍第9技術研究所」だが、通称で書かれている。何故、このような大きな立派な碑が建てられたのか?
・NO.4:この時期に東条英機陸軍大臣から陸軍技術有効賞を受賞している。
   
     NO.5             NO.6            NO.7             NO.8
NO.5:本部跡。本部は壊されているが、当時のロータリー跡とこのヒマラヤ杉が3本健在。
NO.6:消火栓。陸軍の☆マークがある。この付近は第1科があった。「く号兵器」(怪力光線:くわいりき光線)を開発した第3班、「ふ号兵器」(風船爆弾)を開発した第1班の建物があった。
NO.7:5号棟、NO.8:26号棟。第3科の建物。当時は、高さ3mの塀に囲まれ、内部においても秘密だった。中国の紙幣を偽造。5号棟が製造・印刷、26号棟が倉庫。
   
    NO.9             NO.10          NO.11           NO.12
NO.9:36号棟(コンクリート製)。第2科の建物。生物化学壁の開発担当。他にスパイ用のカメラ、秘密インク等開発。
NO.10:弾薬庫。缶詰爆弾、スパイ用カメラ、爆弾、蛇毒等を入れた注射器、毒入りチョコレート等を保管。あまり広くは無い。他に1箇所あるとのことだったが、普段は行けないようだ。
NO.11:弥心神社(生田神社)。「やごごろ」と読む。陸軍技術有効賞の賞金で建てた。発明の神様を祀っている。研究途上で亡くなった所員も祀っている。
NO.12:第4科(研究品の実用製造工場)方向。今は明治大学の校外で、生田中学校、青少年創作センター等がある。明治大学と生田中の間に谷間があり、そこで風船爆弾の実験をしたようだ。
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